皆さんは自分の消したい黒歴史って有りませんか?

私は有ります。
自分の黒歴史を書くのはちょっと勇気が要りますが、書いてみたいと思います。

もう25年位前ですが、私が不動産会社に勤めていた頃のことです。

その会社(H社)の前身は、昭和の終わりのバブルの頃は分譲マンションを沢山販売していてかなり大きな不動産会社でしたが、バブルが崩壊して業績が悪化し、金融機関から数百億円の債務免除を受けました。
その後、ほとんど何も無い状態から会社の再生をしていましたが、私が入社した頃は多額の債権放棄をしてもらったため金融機関からの借入れは出来ない状態でした。

なのでH社は、建設会社(ゼネコン)などからの資金を利用して小規模のマンションを開発して分譲していました。
私の仕事は、マンションの企画設計から設計事務所やゼネコンと打ち合せ・重要事項説明書や売買契約書作成・現場監理・販売まで全てを担当することでした。

土地の転売

H社は分譲マンション事業はまだ大きく展開することが出来ないので、土地の転売事業をしていました。

土地を購入してすぐマンション分譲業者(マンションデベロッパー)に転売する事業です。

しかし土地を購入するお金は金融機関から借入れ出来ません。
それで個人の売主から、我社が購入して分譲マンションを建てますと言って売買契約を締結しました。
それから引渡し・決済までの間に、その土地を購入したいデベロッパー(デベ)を探してそのデベと契約し、売主からの引渡し決済と買主(デベ)への引渡し決済を同時にやり、デベのお金で売主に残代金を支払っていました。
資金調達の方法を金融機関からするか、デベからするかの違いだけだと、部長は正当化していましたが・・・。

ですから、H社は自分のお金を使わず登記もしません。(その頃は中間省略登記と言いました。現在は民法で第三者のためにする契約という方法ができましたが、その頃は有りませんでした。)

デベから受け取る残代金を預金小切手で細かく分割してもらい、売主に渡す分、H社で受け取る分、仲介業者に渡す分などとして振り分けていました。

私は入社して何年かは分譲マンションの企画設計・開発をしていたのですが、途中からお前も土地の仕入れをして転売しろという話になりました。

私の最初のマンション用地仕入れの引渡し決済は、本当に冷や汗ものでした😓

通常、H社の引渡し決済は銀行の部屋を二部屋借りて、片方の部屋で売主とH社との決済、もう一つの部屋でH社とデベとの決済を行ないました。
そしてH社の私たちは、両方の部屋を書類や小切手を持って行ったり来たりし、決済の業務を行ないました。
そうしないとH社が買ってマンション分譲をすると言いながら、すぐ別の業者に転売してしまうことが売主に分かってしまうからです。

しかし私の初めての仕入れ決済の時に限って銀行の部屋が一つしか空いていなかったため、売主、H社、デベが一部屋に集まり引渡し決済を行なうことになりました。
すぐ転売することがバレバレです。

しかも私の初めての決済業務だったので部長が同席してくれる予定でしたが、突然急用ができたとの事で来なくなり、私一人で仕切ることになりました。
マンション用地の決済なので億単位の金額です。
初めてなので決済の手順もよく分からないし、ましてや一部屋に何人も集まってやったため、緊張のし通しで終わった後はホッとしたと同時に、何とも言えない疲れが有ったことを覚えています。

それからも何回も土地の転売を行ないましたが、個人の売主さんに自分の会社(H社)が分譲事業をやるような事を言って土地を購入し、それを登記もしないですぐ転売し、大きな利益を得ていた後ろめたさが今でも有ります。

法律に違反している訳では有りませんでしたが、もうあんな仕事はやりたくないなーと思う、私の消したい黒歴史です。

この記事を書いた人

吉野喜博

吉野喜博

1951年5月、広島県広島市生れ。現住所は埼玉県所沢市。
国立呉工業高等専門学校建築学科を卒業して、建築の企画・設計・監理業務に約30年従事する。
30年前位から不動産の仕事(ビル・マンション企画開発・販売、土地の仕入れ、仲介業務等)も併行して行う。
2008年から相続の勉強に本格的に取り組む。
2016年から所沢市にて、市民の方を対象に相続勉強会と相続相談会を開催している。
2022年4月に所沢相続サポートセンターを設立。
各所で、相続セミナーの講師および相続相談会の相談員を担当。

趣味:
所沢の米で日本酒を作る会の監事、日本酒を嗜むこと、カラオケ、韓国語の勉強。

保有資格:
NPO法人 相続アドバイザー協議会認定 上級アドバイザー、
一般社団法人 相続診断協会認定 上級相続診断士、 公認 不動産コンサルティングマスター、
相続対策専門士、 一級建築士、 宅地建物取引士、 ファイナンシャルプランナー