もうすぐ8月6日、広島の原爆の日ですね。
最近の若い人達の中には、原爆の日を知らない人もいると聞きました。
日本人として、6月23日、8月6日、8月9日、8月15日は、忘れないで欲しいと願います。
私は広島生れの広島育ちです。
両親とも原爆の被爆者なので被爆二世ということになります。
両親は直接被爆をしていませんが、原爆が投下された後、市内にいる親族を心配して爆心地に入り被爆しました。
両親とも被爆者手帳を持っていて、高齢になって癌や狭心症は患いましたが、それでも二人とも80数歳まで生きることができました。
両親が比較的元気だったし、私も虚弱体質ではありましたが特に病気も無かったので、小さい頃から被爆二世という事は特に意識したことが殆どありません。
私が被爆二世であることを一番意識したのは、子供が生まれる時でした。
私の遺伝子が放射能で損なわれていて、子供に何らかの影響が出ないか、かなり心配しました。
もし障害のある子供ができたら、かみさんと二人で育てていこうと言って生みましたが、幸い子供達二人は障害もなく元気に生まれてくれて、ホッとしたことを覚えています。
広島の原爆による死没者数については、1945年の12月末までに約14万人の人が亡くなったと推計されています。
また、被爆の後遺症でその後も亡くなられた方を記載している「原爆死没者名簿」によると約33万人にもなります。
広島なので原爆についての授業があり、中学生のとき原爆の絵を描いたのを覚えています。
炎の中の地獄のような絵を描いたと記憶しています。
爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度に達したと言われています。
太陽の表面温度が約6,000度、鉄が溶ける温度が約1,500度と言われているので、考えられない位の温度です。その温度は想像できません。
一瞬で炭のように真っ黒になって亡くなった人達、体の一部が吹き飛んだり内臓が飛び出して亡くなった人達、大火傷で全身の皮膚が垂れ下がった人達、などなど。
死ぬという感覚も持たないで亡くなった人も大勢いたでしょう。
苦しみ続けて亡くなった人も大勢いたでしょう。
原爆投下後の広島はこの世の地獄のようであったと言われています。
想像をしますが、想像力が追いつきません。
原爆による被害の特質は、大量破壊、大量殺りくが瞬時に、かつ無差別に引き起こされたこと、放射線による障害がその後も長期間にわたり人々を苦しめている事と言われています。
今でも広島に帰る時は、できるだけ平和記念公園に立ち寄ります。
そこには原爆死没者慰霊碑や原爆の子の像、平和記念資料館、原爆ドームなどが有ります。
原爆死没者慰霊碑の石には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。
この碑文は、すべての人々が原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉です。
この碑文を読むたびに、戦争や戦争によって核兵器を使用するという過ちを二度としてはいけないと、私も心に誓います。
2023年6月現在、地球上に存在する核弾頭の総数は、世界9カ国で1万2520発と推定されています。
世界終末時計は、核戦争などによる人類の絶滅を「午前0時」になぞらえ、時計の45分から正時までの絵で表してその残り時間を「0時まであと何分何秒」という形で言っていますが、毎年どんどん短くなっていて、2023年の終末時計は「残り90秒」だそうです。
今再び、ウクライナや台湾有事で核兵器が使われる可能性が高まっています。
戦術核兵器を使って核兵器を局地的・限定的に使用するという話しが有りますが、ロシアの戦術核兵器は広島型原爆の5~10倍の威力があると言われています。
戦争は一旦始まってしまうと止めるのが難しいことは歴史が証明しています。
核兵器を打ち合う核戦争になれば地球上の殆どの生物が死ぬ可能性が高いのは、あまり考えなくても分かります。
そして怖いのは、どこかの国の独裁者の判断一つで、核戦争は始まってしまうということです。
長崎市長は「広島と長崎は特別ではない。」と言いましたが、原爆(核兵器)の問題は、被爆者と被爆地だけの問題では無いということでしょう。
広島・長崎の原爆は過去のものではなく、現在につながっています。
私たちは世界のどこにいても、1万2500発の核弾頭の脅威に晒されています。
私たち全員が、核兵器のある世界の当事者であり、自分の生死がかかっています。
子や孫たちに、このような核兵器による脅し合いの世界を引き継がせないためにどうしたらいいのか、何ができるのか、なかなか難しいですが、私も含めて皆が考えて行動する必要があると思います。