韓国語との出会い

私は今、韓国語を学んでいます。
今月で満72歳になりますが、頭の老化防止にとても役立っています。

私が韓国語と出会ったのは幼少期の頃です。
その頃我家にはまだテレビが無く、娯楽といえばラジオを聞くことぐらいでした。
夜ラジオを聞いていると、広島なので時々小さい音で、韓国から韓国語のラジオが日本語のラジオの音に混じって聞こえてきました。

たくさん韓国語に触れたのは、ヒッポファミリークラブという会のメンバーになった時です。
息子が小学生の時に入会し、数年間位入っていました。

ヒッポファミリークラブでは、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、韓国語、中国語、日本語の7カ国語をベースに、多言語を赤ちゃんのように自然に習得する活動をしていました。
(しばらくして、イタリア語、ロシア語、タイ語、マレーシア語も追加になりました。)

お互いの国同士でホームステイもやっており、息子は小学6年生の時に韓国に約2週間、中学1年生の時にアメリカに約1ヶ月間ホームステイに行きました。
その後、しばらくしてホームステイ先の子供が我家にもホームステイで来ましたので、韓国語や英語に触れる機会が多くありました。

韓国語を先生に教えてもらい始めたのは2017年の12月、66歳の時なので約5年半になります。

最初の先生は、リ・サヨン(李 紗栄)先生というプロのメゾソプラノの歌手の先生です。
1時間半位のレッスン時間で月2回のペース。仲間3人で教わりました。

サヨン先生はコンサートで、クラシック(オペラなど)やシャンソン、カンツォーネ、デズニー映画の歌、歌謡曲など何でも歌われましたが、韓国ドラマの歌も歌われることがありました。
私は気に入った韓国ドラマの歌を一生懸命覚えました😀

サヨン先生は娘さんが生れ、最近は歌の活動が忙しくなったので、今年からはチェ・リナ(崔 梨奈)先生にバトンタッチして頂いて学んでいます。

リナ先生は「伝わる韓国語マスター」として、色々な方に韓国語を教える活動をしていらっしゃいます。

リナ先生は大阪にお住まいなので、レッスンはZOOMを使って行なっています。
先月大阪に出張で行ったとき、私が行きたかったコリアンタウンを先生が案内してくださり、食事も一緒にさせて頂きとても楽しかったです😀

韓国語と日本語、似ているけど違う

韓国語は日本語と語順が同じなので、とても覚えやすいです。

また、韓国語はハングルという文字を使っていますが、漢字に由来する漢字語がたくさん有り、とても馴染み易い言語です。
例えば、日本語の約束は韓国語でヤクソク、靴はクドウ、無料はムリヨ、余裕はヨユ、準備はチュンビ、道路はトロ、簡単はカンダン、運動はウンドン、時間はシガンなどです。
とても日本語と似ていますね。

このように韓国語は日本語ととてもよく似ていますが、難しいところも有ります。

私にとって難しいのが発音です。
韓国語には、日本語のウとエとオの母音が二つずつ有ります。
また、二重母音という母音が二つ重なって一つの母音になっているのが七つ有ります。

日本語は母音がアイウエオの5つだけですが、韓国語は母音が全部で21も有ります。

それと、韓国語には息を激しく出して発音する「激音」と、息を全く出さないで発音する「濃音」が有ります。
特に私は、言葉の最初に「濃音」ある文字の発音は、日本語の発音には無いので難しいです。

リナ先生には平日、韓国語で日記や文章を読んでLINEのボイスメッセージで送り、発音をチェックして頂いています。
厳しくも、優しく分かり易く指導してくださり、発音が大分良くなったように思います。

韓国と日本

外国の言葉を学ぶことは、その国の文化を学び、その国の人々を知ることにつながります。
そして、その国の人と仲良くなりたいと思います。

韓国は日本に一番近い国です。
一番近い国の人と先ず仲良くなりたい。
そのためには韓国語を話せるようになりたいというのが、私が韓国語を学び始めた一番の動機だったように思います。

日本と韓国は、国同士の関係がこの処すごく悪くなりましたが、今は少し改善してきているようで、これからも良い方向に向かって欲しいと思っています。

昔は朝鮮半島から多くの文化が日本に伝わり、朝鮮半島の人々も日本にたくさん来たと思います。
我々のルーツもずっと辿って行けば、かなりの人が朝鮮半島から来ているのではないでしょうか。 

私の夢は、韓国語をマスターして、韓国の人と自由に会話ができて仲良くなることです。

市民レベルでは、韓国ドラマやKポップ、映画、アニメ、旅行、食文化などで、市民同士の交流が随分進んでいます。

新大久保に行くと、多くの人が韓国文化に触れたり韓国料理を食べるために訪れていて、人が溢れています。

市民同士が仲良くなることで、日本と韓国との関係が良くなり、日本の人と韓国の人が共に幸せになるのが私の願いです。

この記事を書いた人

吉野喜博

吉野喜博

1951年5月、広島県広島市生れ。現住所は埼玉県所沢市。
国立呉工業高等専門学校建築学科を卒業して、建築の企画・設計・監理業務に約30年従事する。
30年前位から不動産の仕事(ビル・マンション企画開発・販売、土地の仕入れ、仲介業務等)も併行して行う。
2008年から相続の勉強に本格的に取り組む。
2016年から所沢市にて、市民の方を対象に相続勉強会と相続相談会を開催している。
2022年4月に所沢相続サポートセンターを設立。
各所で、相続セミナーの講師および相続相談会の相談員を担当。

趣味:
所沢の米で日本酒を作る会の監事、日本酒を嗜むこと、カラオケ、韓国語の勉強。

保有資格:
NPO法人 相続アドバイザー協議会認定 上級アドバイザー、
一般社団法人 相続診断協会認定 上級相続診断士、 公認 不動産コンサルティングマスター、
相続対策専門士、 一級建築士、 宅地建物取引士、 ファイナンシャルプランナー